【概要】
ガイドブックによれば豪士峠はその昔、高畠町上和田と福島市茂庭を結ぶ古い街道上の峠だったようである。高畠村は古くは屋代郷に属し、江戸時代において幕府の直轄領となったり、米沢藩の一時預り地となったりして時の権力者に翻弄されたところだが、その屋代郷民にとって豪士峠は二井宿街道に対する間道として利用されていた。それは米沢福島間の表街道である板谷峠に対する、いわば裏街道だったようでもある。この街道は福島県側から高畠町の亀岡文殊堂までの最短距離だったことから、昔は多くの参拝者に利用されていたらしいが、その昔日の面影も今はまったく見られず、街道があったことさえ知る人は稀である。
前日の”膝の好調”に気をよくして今日もハイキングで足慣らしをすることにした。遠方にまで出かける元気はないので高畠町の山を登ることにした。久しぶりに信濃沢から駒ヶ岳へ直登し、最短コースの本沢を下る予定である。そして、あわよくば豪士山まで足を延ばし、もっと調子が良ければ一番歩き甲斐のある中ノ沢コースを下りたいと、頭の中に計画だけはぎっしりと詰まっている。
昨日に続いて今日もまた曇り空。それでも雨が降る予報ではないので晴れ間も広がるだろうと期待しながら上和田の登山口へと向かう。本宮キャンプ場の駐車場では車が道路まで溢れているので驚いた。どうやら地元小学生の学級登山らしく総勢60名ほどもいる。すれ違うために少し難儀しながら私は信濃沢へと進んだ。するとひかば越えの分岐には大きいマイクロバスまでが止まっていた。こちらは東京近辺からきたツアーのようだった。天候がいまひとつでも、山はめずらしく大勢の登山者で賑わいそうだった。
信濃沢への狭い路肩にはブルドーザが置かれていた。作業員は見あたらなかったものの、杉の切出し作業を行っているらしかった。重機が何回も山奥まで往復するため、林道は荒れてしまい登山道は跡形もなくなっていた。一面泥濘と化した林道には昔日の面影もない。半信半疑で荒れた道をしばらく進み、ようやく登山道を見つけて一安心となった。
ブル道からははすぐにブナ林の樹林帯となった。この美しいブナ林を眺めながらの歩きで、沈んでいた気持もようやく心が癒されるようだった。しばらく急登の連続となり、尾根に上がる勾配はようやく緩やかになる。付近はミズナラや赤松が目立つようになった。上空は厚い雲が覆っていて青空は望めなかった。しかし、高畠町の町並みが眼下に見えて展望はそれなりに楽しめるようだった。
ようやく大きなピークに登り着いたところが手前の969m峰とわかってがっかりする。このコースは駒ヶ岳まで意外と距離があるのを忘れていた。969m峰からは大きく下ってヤセ尾根の岩場を通過する。この付近から両足が痛み出してしまい愕然とした。情けないようだがやはりまだまだ無理はきかない。しばらく両膝を庇いながらの登りとなった。
薄暗いブナ林を歩いて登り切ったところが駒ヶ岳だった。ここではマイクロバスの団体が20名ほど休憩中だった。ひかば越えを登ってきたらしくこれから信濃沢を下るらしかった。私とは逆コースのようだった。東京からわざわざこの駒ヶ岳までくることもなかろうにと思うものの、一方ではこの駒ヶ岳も全国区になったのだろうかといったことを考えてみる。もちろんあまり喜ばしい話ではなかった。
駒ヶ岳から高畠町の最高地点である1074m点までは30分ほどだ。ここはすでに奥羽山脈の稜線である。三角点もあり秋晴れならば吾妻連峰や蔵王連峰などの展望が楽しめるのだが、今日は残念ながらあきらめるしかないようだった。1074m点から県境稜線は歩きづらい道が続く。しばらく歩くと左手に駒ヶ岳の全貌が楽しめるようになる。つまり大きく迂回するように、反時計回りに豪士山へとコースが続いている。
ひかば越え分岐点では朝方出会った小学生の団体が休んでいるところだった。すでに昼時間なのかみんな草原にザックをおろして食事の最中であった。小学生達はこれから駒ヶ岳へと向かうらしかった。
分岐点からは最短コースで本沢を下ることにした。このコースは昨年友人達と歩いたばかりでまだ記憶に新しい。沢沿いの急坂から平坦な山道となると今日のハイキングも終盤となる。駒ヶ岳への往路と比較するとこの本沢コースはあっけないほど短い。痛み始めた足には今日のような優しいコース選択でよかったのだとしみじみと考えていた。