
天元台のロープウェイ湯本駅には多くの登山者達で溢れていた。待合室に入りきれない人達は外で待っている人も多かった。団体のツアーも多いらしく、そのほとんどが中高年の女性達で、ガイドを伴った百名山巡りのようであった。湯本駅ではあまりに登山者が多いので臨時便を出して対応に追われていた。
ロープウェイの乗り場から上空を見上げると、空全体に雲が広がっていて、中大巓の山頂付近は見えなかった。そして西の方角をみると黒い雨雲が近づいている。念には念を入れたほうがよいかも知れないと、急遽、ロープウェイの天元台駅に備え付けてある、貸出用雨傘を2本借りてゆくことにした。天元台まで上がるとさすがに気温は低く、草原地帯には爽やかな風が流れていた。午前中ぐらいは天候が持ってくれるだろうと期待して、さっそくリフトに乗り込んだ。しかし、そんな期待はあっさりと裏切られ、第3リフトに乗り込むとまもなく小雨が降り出してきた。雨は次第に本格的となり、リフトに乗車しながら傘を差したが、早くも崩れ始めた天候には、さすがに気分は沈みがちになるようだった。借りてきたばかりのビニール傘が、こんなに早く役に立つとは思わなかったが、他の乗客達は急に降り出した雨になすすべもなく、かなり濡れてしまったようであった。
雨脚は強く、リフトを降りると急いで雨具を着たが、団体の登山者達もあわてて雨具をザックから取り出していた。北望台からはほとんどの人達が西吾妻山をめざしてゆき、人形石に向かう人は我々以外にはほとんどいないようだった。人形石までの短い区間でも雨は強く降ったと思うとまもなく止んでしまうなど、今日は変わりやすい天候だった。その都度、妻は雨具を着たり脱いだりしていたが、土砂降りでは雨具を着ないわけにはゆかず、かといって雨が止めば内部がたちまち蒸れてしまい、とても雨具を着ていられる状態ではなくなるなど、いつもの梅雨の時期特有の蒸し暑さが続いた。
人形石では雨の中ながら登山者が数人休憩中の人もいて、記念の写真を撮ったりしていたが、登山者は数えるほどしか見当たらない。ここからは天候の悪さもあって、ほとんどの人達がリフト乗り場へと引き返して行く。東吾妻方面に向かう登山者はほとんどいなくなり、我々の他には夫婦連れが一組だけのようであった。人形石から縦走路を見渡すとかなり低い位置に湿原が広がり、湿原にはいろは沼と呼ばれる大小の池塘が多数点在しているのが見える。その中央を木道が藤十郎へと伸びていた。この風景はどこかで見たことがあるような気がしていたが、それはちょうど燧ヶ岳や至仏山から尾瀬ヶ原を見下ろしたときの光景によく似ていた。この時期にこの区間を歩くのは積雪期以外では久しぶりであり、見る風景がひとつひとつ新鮮に写った。チングルマやイワカガミなどが咲き競う登山道を下るとやがて木道歩きとなる。
雨は時々土砂降りのように雨脚が強まったりした。木道が途切れると深くえぐられた登山道もあって、靴に水が入らないように通過するのがたいへんだった。まるで周囲の湿原の水を全て集めるようにして、登山道はすでに水路と化していた。水量も半端ではなく、吾妻連峰では梅雨前線が早くも活発に活動しているようだった。こんな状況にあきらめたのか、途中までついてきていた夫婦連れは藤十郎付近で引き返していった。藤十郎の分岐までくると木道が続くようになり、安心して傘もさせるようになる。妻もカッパを脱いで傘に替えた。その後も雨は降ったり止んだりを繰り返したが、決して晴れ間が出ることはなかった。雨脚が速くなると水面が雨水で跳ね、池塘がその水蒸気で煙るほどにもなる。その光景は不思議と心が落ち着くようで、見ていても決して飽きることはなかった。湿原にはミツガシワやワタスゲ、チングルマなどが目立つ。そして小さなアップダウンを繰り返すとまもなく広大な弥兵衛平の湿原に出た。ここでは湿原の至るところで修復作業が施されていたが、大雨に流されたのか、無惨にもその修復箇所の大部分が壊れていた。
雨は相変わらず降り続いていた。東大顛の分岐までくるとまもなく明月荘が前方にみえてくる。まだ距離は1km近くもあるのをみて、妻はがっかりしていたが、小屋ではゆっくりと休もうと励ましながら小屋に向かった。明月荘には歩き始めてちょうど3時間で到着した。小屋には誰もいなく、立岩から登ってきた人も今日はいないようだった。小屋では早速ラーメンを作ったりして楽しい昼食時間とする。ここまでくれば後は立岩の登山口へ下るだけである。休んでいると窓の外が明るくなり、日差しも少し出てきたようだった。
明月荘から出てみると雨は止み、早くも木道は白く乾き始めていた。休憩は短時間だったが、あらためて陽のありがたさを思うばかりだった。乾いた木道は歩きやすく、明月湖などの池塘群を眺めながら、快適な湿原歩きがしばらく続いた。やがて木道が終わると樹林帯に入って行き、本格的な下りとなる。するとその途中から雨が再び降り出してきて、瞬く間に激しい本降りとなってしまった。滑りやすいこの区間では傘を出すわけにもゆかず、途中で二人とも上下の雨具を羽織った。結局、降り出した雨は立岩登山口まで止むことはなく、樹林帯は風が無いだけに、蒸れも重なってTシャツはびしょ濡れになってしまった。
登山口からは駐車地点までの最後の林道歩きが待っている。ここは3km以上もあるはずだったが、特に危険な個所もないので、傘を差しながらのんびりと歩くことにした。結局、今日の天候は「曇り時々雨」の予報どころではなく、終日雨模様が続いた一日だった。しかし、雨の弥兵衛平もなかなか味わい深いものがあって、しっとりとした湿原の風景は心に残った。そして、妻の久しぶりの足慣らしとはいいながらも、体力が落ちている私にとっては、結構充実感に満ちた山歩きであった。
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人形石から見るいろは沼と湿原 |
人形石付近のチングルマ |
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藤十郎付近の湿原 |
雨に濡れるワタスゲ |
