長ノ助清水で喉を潤し、さらに登って行くと左手からは徐々に飯豊本山がちらつき始めたが、あまりに日射しが強すぎるせいか、いつもの見慣れた風景が白っぽく見えるほどだ。滝切合付近ではヒメサユリ、アカモノ、ハクサンチドリなどが咲き、振り返ると磐梯山や朝日連峰の姿があった。地蔵岳山頂では6名ほどの登山者が休憩中で、ここまで15人ほどの登山者を追い越してきたが、みんなこの異常な暑さにはペースも上がらないようであった。
目洗清水は雪渓が多く残っているので、上から見た限りではまだ融雪水しか汲めない。稜線ではホタルブクロに似たような花が道の両側に群生していた。あとで調べてみたらミソガワソウという高山植物であった。また、ヒメサユリもかなり多い区間だったが、そのほとんどは盛りを過ぎて枯れかかっていた。そのヒメサユリにかわって今度は夏の花の代表格でもあるニッコウキスゲがこれから本番を迎えようとしていた。まだ蕾が多かったが、この暑さではそのほとんどが明日にでも開花するように思われた。御坪付近は風の通り道だ。ほとんど風がない尾根歩きが続いていただけに、ここでは腰をおろして涼風を心ゆくまで味わった。御坪から下り始めるとすぐに種蒔山の分岐に着く。御沢の雪渓に上がるとやっと暑さから解放される。しかしなだらかな雪渓歩きも徐々に勾配が増して行く。一見、石転ビ沢の縮小版のような雪渓だが最後はやはり緊張するところだ。今日はアイゼンもピッケルもないので最後の急斜面は確実にキックステップを刻んだ。雪渓を登り切ると大日岳が正面だった。残雪の大日岳とヒメサユリ、そして黄金色のニッコウキスゲが飯豊の夏山を感じさせた。
切合小屋では管理人が小屋から荷物を出して大掃除(?)をしている。草履塚からは夏道も半分以上出ていたが、途中から雪渓に上がった。本山小屋の水場はまだ使えないはずなので途中の流れで水を汲む。一気に4リットル近くも汲んだためにザックが急に重くなる。草履塚の山頂で自宅に電話をしてみると、携帯は難なくつながり、一応、カミさんに現在地を伝えた。姥権現への途中で見かけた、濃いピンクのハクサンフウロに足を止めてみる。今年初めて見るハクサンフウロであった。他にはハクサンコザクラ、ヨツバシオガマ、シラネアオイ、ツマトリソウ、ミヤマダイモンジソウなどが咲いていた。
今日一日は絶対に崩れないと思われた天候が陰り始めたのはこの辺りからであった。すでに大日岳が霞み始めており、空全体を雨雲が覆い始めていた。御秘所を過ぎると風が強まってくる。火照った体にはこの風が心地よかったものの、予想外の雲行きにはがっかりするばかりだ。風に揺れるチシマキキョウやウスユキソウに励まされながら御前坂を登ると一ノ王子に着く。本山小屋まではもう目前であった。小屋にはまだ誰もいなかったが二階に上がってみると10人分ほどのザックや装備類がデポしてあり、みんな軽装で大日岳をピストンしているようである。場所をひとまず確保したところで天候が悪化する前に山頂に行ってみることにする。なだらかな稜線にはゴゼンタチバナやチングルマが少し咲いている程度でニッコウキスゲはまだ少し早いようであった。大日岳や、烏帽子岳、北股岳などは今にも薄黒い雲に見えなくなってしまいそうだったが、それでも飯豊山山頂からの雄大な展望に感激する。2週間前はほとんど展望がなかっただけに2000mからの眺望はやはりすばらしく、今回も飯豊に登ってきた喜びが沸々と湧きあがってくる。山頂では3人ほど休憩中だったが、ほどなく一人がダイグラ尾根をくだってゆき、まもなく若い単独者もダイグラを下りていった。風がますます強くなっていた。午前中のまぶしい日差しがまるで嘘だったかのように、あたりは薄暗くなりかけていた。まもなく天候が崩れそうな気配を見て小屋に引き返したが、その途中から少し雨がぱらつきだしてしまった。
小屋に戻って遅い昼食を食べていると、本山小屋は次々とやってくる登山者達で賑わいはじめていた。そのうちの一人が以前、吾妻の山スキーで一緒だった人だとわかって、その人とは夕食などを一緒に楽しんだ。まもなく風のうなり声が大きくなり、屋根を叩く雨音までが聞こえてくる。窓の外をみると視界は20〜30mほどしかなくなっていた。大日岳を往復していた団体が、小屋に戻ってきたのはだいぶ遅くなってからだった。みんなは雨具をもって行かなかったらしく、全員ずぶぬれのような状態で二階に上がってきた。いつのまにかがら空きだった一階が大勢の登山者で一杯になっていた。私はこの夜、缶ビール1本で簡単に酔っていまい、早めにシュラフに入った。少し頭痛がしていたところをみると、軽い熱射病にかかっていたのかもしれなかった。
翌日は4時前に起床した。外はすでに薄明るくなっていて、まもなくご来光が始まるところであった。朝食の準備を始める前に外に出て見ると上空はきれいに晴れ上がり、見渡すと雲海が広がっていた。ただ、大日岳や北股岳への稜線はまだ厚い雲に隠れていて見えなかった。山並みはほとんど雲海に隠れていたが、南の空には残月が青白く輝き、蔵王連峰の上空が赤く染まり始めている。私はそんな風景を写真に撮ったりしながらしばらく眺めていた。予報によると今日も暑くなりそうであった。今日の好天が間違いないとなると、往路をただ下るだけではもったいないように思われてきて、久しく歩いていない五段山経由で下山することにした。行程を少し変更するだけだったが、切合小屋から三国岳への行程が増した分だけ、何となくワクワクするような気持ちの盛り上がりがある。朝食を済ませると本山小屋を5時半に出た。まだ風が強かったが寒さは少しも感じない。早くも気温はかなり上昇しているようであった。御前坂を下ったあたりからはTシャツ一枚になって歩いた。
草履塚からは昨日の小沢で水を補給してから切合小屋に向かった。小屋前では本山小屋を5時前に出発していた団体が休憩しているところだった。種蒔山付近からはミヤマキンポウゲやハクサンチドリ、タニウツギ、ヒメサユリなどが咲く。先日の朝日連峰もヒメサユリが見事だったが、ここのヒメサユリもほとんど遜色がないほどの群落が続いていた。朝方にはほとんど見えなかった大日岳がこの頃には完全に姿を現していた。七森を過ぎてくねくねしたヤセ尾根をしばらくたどると三国岳だ。以前の三国小屋は取り壊されてなくなり、現在は新しい山小屋が建設中であった。やっと基礎ができあがったばかりで完成予定は7月末頃とのこと。山頂では早くも赤トンボが舞い始めている。五段山や地蔵山はガスで全く見えなくなっており、30分ほど休むことにした。
剣ガ峰の通過は視界がはっきりしない中だったが、ときどきガスが晴れて真夏の日差しが戻ったりした。地蔵山へ向かう途中では、飯豊町主催による山開きの人達と出会った。今年は大日杉小屋を基点に、五段山を経由して切合小屋を周回するコースだという。参加者は結構いるらしくて、横峰分岐付近までは多くの登山者達とすれ違った。横峰分岐からは再びガスの中となる。山開きでは最後のグループだという人達が地蔵山の山頂直下、血の池の標柱付近で休憩中だったが、それ以降はほとんど登山者と出会わなくなった。道はしっかりしているのだが、山開きでもないとこのコースはほとんど歩かれていないのかもしれなかった。相変わらず視界はなかったものの、そのガスのおかげで厳しい暑さをしばらく忘れることができるのはうれしい。まるでクールダウンをしているかのような快適な涼しさである。人の気配のない静かな山道を黙々と歩き続ける。五枚山と牛ケ岩山の標識が一緒に並んでいるという、ちょっと不思議な山頂付近を通過する。この付近は池塘が散在する湿地帯だが、今の時期は樹木に遮られて展望があまりないのが寂しいところだ。
牛ケ岩山からは20分ほどで最後のピークである五段山に到着した。ここも周りを多くの樹木に覆われていて、標識がなければとても山頂とは思えないところだ。この五段山には5回ほど登っているが、やはり展望が楽しめる残雪期に登ってこそ魅力的な山だろうと思う。山頂の標柱には大日杉まで3.2kmとあり、ここからは登り返しがほとんどない下り坂となる。山開きのためだろうか、五段山からはきれいに刈り払いがされていてとても歩きやすくなっていた。高度が1200mを切るとガスの層から抜けだし、ようやく周囲の展望が広がったが、同時に灼熱のような暑さも戻ってきてがっかりする。標高900メートル付近からは最後の急坂となった。汗を振りまきながら下りきったところにはこのコース唯一の水場がある。岩から滲み出てくる水は冷たくて美味しい水で、ペットボトルにたっぷりと汲んで自宅へ持ち帰ることにした。そこからはまもなく吊橋があり、白川の源流を渡ると大日杉小屋まではいくらもかからない。小屋前では山開きの関係者らしき人達が、下山してくる登山者達を待っているようであった。小屋の周囲は山開きの人達の車で溢れており、駐車場に戻ると昨日にも増して強烈な日射しが辺り一帯に降り注いでいた。