【平成14年8月3日(土)/南会津 荒海山】
苦労の末にようやくたどりついた荒海山山頂
野岩鉄道会津高原駅からさらに国道352号線を西に向かうと左側に荒海山登山道の案内図があった。これは2週間前に登った七ガ岳登山口の案内図と同じようなつくりの看板である。林道に入りしばらく進むと八総鉱山跡地に着いた。ここにもやはり看板があってこの八総鉱山についての説明文がある。それによるとこの八総鉱山は住友金属鉱山株式会社が昭和25年から20年間操業し、その間、鉛、亜鉛、硫化鉄などを産出していたが、その後昭和44年に閉山されたものらしかった。隆盛を極めていた当時は従業員とその家族を併せると2300名を超えるほどにもなり、そのための八総鉱山小学校もあったというのだから驚く。しかし操業停止後は敷地も荒れるにまかせっきりの状態らしく、現在はその繁栄していた頃の面影はどこにも感じられなかった。
その荒海川沿いの八総鉱山跡地に宮城と春日部ナンバーの車が2台とまっていた。付近に人影は見あたらず車は登山者のものなのか釣り人のものなのかはわからなかった。道はその先も続いているので四駆の駆動力を頼りにさらに進んでみた。しかし林道は荒れておりついには崩れてきた土砂のために道が塞がっていて先には進めなくなってしまった。後悔しても後の祭りであったが、カミさんから後ろを誘導してもらいながらバックで引き返す。しかし道幅が狭い上に両側からは伸び放題の草木が迫り、バックミラーも見えないので運転は容易なことではなかった。ようやく八総鉱山跡地まで戻ったときにはさすがにホッとした。
林道をしばらく歩くと登山者カードを入れる木製のポストが立っていた。カードを投函してセミの鳴き声と荒海川の流れの音を聞きながら、なかばヤブのような山道を歩く。標識がないので少し不安な登山道だった。ようやく登山口を示す標識が現れ、右側の河原に下りて行き荒海川を渡る。小沢に沿って登るとすぐ先に砂防ダムがあり右手は急斜面になっていた。この急斜面にはまだ歩いたばかりと思われる踏跡があるのでなんの疑問も抱かずにこの斜面を登った。しかし苦労しながら登ってはみたものの踏跡がなくなり道がわからなくなった。引き返す斜面の途中で見下ろすと砂防ダムの先に赤いテープが見えたので、ここでようやくルートが間違っているのに気付いたのである。30分も時間をロスしただろうか。この上り下りにかなりの体力を使ってしまいカミさんも私も疲れはててしまった。戻ってみると堰堤の上には赤いペンキ印がたしかにあったが、草木が伸びてしまったためにこのペンキ印が見えなくなっていたのだった。堰堤からはところどころにあるペンキ印を確認しながら先に進んだ。このコースは小沢を遡りながら尾根をめざしてゆく。しばらく初級向きの沢歩きが続いた。尾根へと突き上げている急斜面には何カ所にもロープが張ってあった。
登り切った所は広いスペースになっていて小休止した。尾根からは左に折れて荒海山の山頂をめざす。ここからはなだらかな尾根歩きが続くものと思っていたらとんでもない間違いで、かなりのアップダウンが続く上に、登山道は木の根が幾重にも絡まり、倒木も多いので歩きにくい山道の見本みたいなものだった。周りはブナやミズナラ、アスナロといった鬱蒼とした樹林に囲まれているので眺望の楽しみもなかった。しかし夏の盛りの山登りであれば陽射しに晒されない分だけよしとしなければならなかった。一つ目のピークを越すと樹林の間からは左手に荒海山の山頂付近が見えた。高く聳える荒海山はまだまだ距離があり、見上げていたカミさんはため息をついた。
原生林の中を行けども行けども似たような景色が続く。避難小屋はまだだろうかと思いながら歩き続けていると前方から登山者が下ってきた。春日部ナンバーの夫婦連れであった。意外なことに山頂にはまだ3名もいるという。すると今日の登山者は全部で7名ということになる。もしかしたら登山者は誰もいないのではないかと思いながら人の気配のない山道を登ってきただけに、思いのほか登山者が多いので安堵感を覚えた。また頂上直下のコル付近に建っているのではないかと思われた避難小屋は、聞いてみるとほとんど山頂と変わらない場所にあるのだという。バテ気味のカミさんは山頂をあきらめて小屋で休んでいるつもりだったのだがこれを聞いてがっかりした。
山頂直下は更に歩きにくい道が続いた。深くえぐられた登山道は足場もないような状態で、木の枝などをつかみながら体を引き上げなければならなかった。ここの急斜面の登りに汗を流していると、東京からの単独の人がまず下りてきて、続いて宮城からの二人連れが下っていった。みんな登山道の歩きづらさを嘆き、そして予想外に難渋したと言いながら下っていった。やがてヤセ尾根に飛び出すとようやく頭上が開けて明るくなり、まもなく左手に避難小屋が見えた。小屋はササヤブに囲まれるようにしてひっそりと建っていた。この南稜小屋はかつてロボット雨量観測用の小屋であったものを田島町の会津南稜会が避難小屋として改装したものらしかったが外観はかなり古いものである。山頂はもう目の前だった。
長い長い尾根歩きの末にようやく山頂にたどりついた。山頂は狭く4、5人が座るといっぱいになりそうな広さしかない。山頂には荒海山の標識と「大河の一滴ここより生る 阿賀野川水源之標」と書かれた石碑が建っていた。二人とも体中汗びっしょりでカミさんは声も出ないほど疲れている。凍らせてきた水筒の水をぐいぐいと飲むと半分死んでいた細胞達がその冷たさに生き返った。山頂に早速銀マットを広げて休憩をとることにした。曇り空のために霞がかかってはいたものの、山頂からは会越国境の山々や日光連山など見渡す限りの展望が広がっていた。すぐ近くには三角点のある次郎山も見えた。しかし周りの潅木がかなり伸びてしまっているためか、風が遮られて蒸し暑く感じる山頂だった。
20分ほどの休憩後、山頂を後にした。下りは元の道を忠実にたどるだけである。しかし足場が悪いために下りでも予想外に時間がかかった。疲れた体には大小のアップダウンがなかなか先が見えないと言う感じでうんざりするほどの距離に感じられた。尾根への分岐点に戻る頃には陽はとっくに傾いてしまい周囲は薄暗くなっていた。分岐点で大きな石に腰を下ろして果物を食べながら最後の休憩をとった。私は遠くに見え隠れする栃木県側の山麓を見下ろしながら今日の行程を思い返していた。荒海山という山の名前から強く荒々しいイメージをそれとなく抱いていたが、予想以上にふところが深い山であった。それだけに訪れる人も少なく静かな山を味わえるのだが、人を簡単に寄せ付けないようなこの南会津の山の厳しさの一面をあらためて感じていた。
会津高原駅から国道352号線を西にたどると
林道の入口に荒海山登山道の案内図があった
尾根に突き上げる急斜面
ロープをたよりに登る